2021年7月 世界文化遺産登録! 北海道・北東北の縄文遺跡群にふれる
- 所要時間 : 3泊4日
- 主な交通手段 : レンタカー
洋と和が交わる港町とアート、歴史、海鮮を満喫しながら遺跡を巡る4日間
<1日目>仙台駅ーー二戸駅ーー御所野遺跡ーー道の駅かづのーー大湯環状列石ーー十和田湖ーー 奥入瀬渓流(泊)
<2日目>奥入瀬渓流散策ーー十和田現代美術館ーー八色センター ーー是川石器時代遺跡ーー二ッ森貝塚ーー浅虫温泉(泊)
<3日目>浅虫温泉ーー三内丸山遺跡ーーねぶたの家ワ・ラッセーー青森魚菜センター ーー小牧野遺跡ーー新青森駅ーー新函館北斗駅ーー函館駅 (泊) 夜:函館山ロープウェイ
<4日目>函館駅ー―垣ノ島遺跡ーー大船遺跡ーー大沼公園ーー五稜郭跡・五稜郭タワーーー金森赤レンガ倉庫ーー函館駅
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1日目
JR仙台駅~JR二戸駅(東北新幹線)63分
15分
史跡 御所野遺跡
岩手県北部の馬淵(まべち)川東岸、標高190m~200mの河岸段丘に立地する縄文時代中期後半(紀元前2,500年~紀元前2,000年頃)の大規模集落遺跡です。 中央の広場に配石遺構を伴う墓地が造られ、それを囲んで竪穴建物跡、掘立柱建物跡、祭祀に伴う盛土遺構などが分布し、さらにその外側の東、西にも竪穴建物跡が密集するという集落構造が明らかになっています。御所野遺跡は、当時の人々が長期間にわたって安定した定住生活を示す具体的な物証であり、周辺の自然環境と共存しながら一体となった計画的土地利用を段階的に跡付けることができる顕著な事例です。
55分
鹿角観光ふるさと館「あんとらあ」
20分
特別史跡 大湯環状列石
秋田県北東部、鹿角市の米代川上流に位置し、その支流である大湯川左岸、標高180m程の台地上に構築された、縄文時代後期前葉から中葉(紀元前2,000年~紀元前1,500年頃)の環状列石を中心とした遺跡です。 環状列石の形態は、定住とともに発達した集落形態である環状集落を背景としたものと考えられます。遺跡の中心として万座(まんざ)と野中堂(のなかどう)の二つの環状列石があり、それぞれの環状列石を取り囲むように、掘立柱建物跡、土坑・貯蔵穴、遺物廃棄域が同心円状に配置されています。
40分
十和田湖
十和田湖~奥入瀬渓流 40分
奥入瀬渓流で1泊
奥入瀬渓流で1泊
2日目
奥入瀬渓流
35分
十和田市現代美術館
パブリックアートも多数!通り全体がひとつの美術館
45分
20分
史跡 是川石器時代遺跡
50分
史跡 二ツ森貝塚
青森県東部、太平洋岸の小川原湖西岸の標高約30mの台地に立地し、縄文時代前期前葉から縄文時代中期末葉(紀元前3,500年~紀元前2,000年頃)の大規模な貝塚を伴う集落遺跡で、その広さは約35haにも及びます。貝塚は、この時期としては東北地方有数の規模を誇り、当時の環境変動や生業に加え、長期間にわたる定住と集落構造の実態を示す重要な遺跡です。
60分 浅虫温泉で1泊
浅虫温泉
夕景が美しい、陸奥湾に面した東北随一の温泉リゾート
風光明媚なローカル列車「青い森鉄道」に乗って「浅虫温泉駅」で下車すると、そこはもう浅虫温泉街。駅前にある無料の足湯が、早くも旅気分を高めてくれます。駅の東側と西側とで町の風情が変わり、東側はレトロな温泉街、西側は海に面したビーチリゾートになっています。
東側は細い路地に昔ながらの温泉旅館や食堂があり、懐かしい日本の温泉街といった雰囲気。温泉につけるだけでおいしい温泉たまごが作れる「温泉たまご場」や、消化器系の慢性疾患等に効能があるとされる「飲泉所」もあります。「森林浴の森100選」に選ばれた「浅虫温泉森林公園」や、イルカショーが好評な「浅虫水族館」も駅の東側にあります。
3日目
浅虫温泉~35分
20分
5分
30分
史跡 小牧野遺跡
青森市南東部、八甲田山西麓に広がる荒川と入内川に挟まれた、青森平野を一望できる標高80〜160mの舌状台地上に立地する、縄文時代後期前葉(紀元前2,000年頃)の環状列石です。環状列石は、中央帯が直径2.5m、内帯が直径29m、外帯が直径35mの三重の環を描くように配置され、さらにその周りを囲むように直径4m前後の環状配石や一部四重となる列石などが配置されており、全体では直径55mにものぼります。環状列石の内帯や外帯は、平らな石を縦横に繰り返し、あたかも石垣を築くように並べられています。この縦横交互の列石は全国的にも珍しく、“小牧野式”配列(配石)とも呼ばれています。
50分
JR新青森駅~JR新函館北斗駅(JR北海道新幹線) 65分
JR新函館北斗駅~JR函館駅 19分
函館駅~函館山ロープウェー 市電5分+徒歩13分
函館山夜景
高さ334mの函館山山頂から望む夜景は、まさに函館一のフォトジェニックスポット。
津軽海峡と箱館港に挟まれ、扇形のように市街地が広がった地形が特徴的な函館の夜景。函館の夜景スポットといえば、やっぱりはずせないのが函館山。おすすめは夕方から夜へと移り変わる薄暮と言われる時間帯。刻々と輝きを増す街の灯りや漁火の明かりが、海の漆黒さをより引きたたせ、高さ334mの函館山山頂から望む夜景は、まさに函館一のフォトジェニックスポット。日没の30分前には、山頂展望台に到着するように行程を組むのがおすすめです。
4日目
函館市内で1泊
函館駅から 55分
史跡 垣野島遺跡
太平洋に面した海岸段丘上に立地し、縄文時代早期前半から後期後半(紀元前7,000年~紀元前1,000年頃)にかけて、約6,000年もの長期にわたる定住を示す集落遺跡です。 定住が開始されたとみられる縄文時代早期前半(約7,000年前)にはほぼ同じ時期に隣接する垣ノ島B遺跡の土坑墓から世界最古の漆製品がみつかりました。その後、縄文時代早期後半(紀元前5,000年)の土坑墓群から副葬品とみられる17点の足形付土版、後期後半の漆塗り注口土器や香炉形土器などが数多く出土しています。こうした遺物からは当時の高い技術や成熟した社会、精神文化の高さをうかがうことができます。 また、縄文時代中期末葉から後期初頭(紀元前2,000年前後)に構築された長さ190m以上におよぶ「コ」(U)の字形をした大規模な盛土遺構は、国内最大級の規模です。「送り場」など祭祀・儀礼の場と考えられ、当時の社会性や精神性の変遷を示す遺構として、今なお視覚的に確認できる重要な記念物です。
10分
史跡 大船遺跡
太平洋に面した海岸段丘上に立地し、縄文時代前期後半から中期後半(紀元前3,200年~紀元前2,000年頃)の大規模な集落遺跡です。100棟を超える竪穴建物跡からなる住居域と大規模な盛土遺構があり、その南西には墓や貯蔵穴を含む100基以上の土坑墓群が確認されています。 約千年間にわたり継続した集落は、大船川に沿った台地上に帯状に構成されており、北東北における集落構造と共通しています。また、発見された竪穴建物跡は、床を深く掘り込んだ大型のものが多く、クジラやオットセイの骨やクリなどが出土しています。多数の竪穴建物跡からは、縄文時代中期初頭から末葉(紀元前3,000年から紀元前2,000年頃)にかけての連続した変遷を辿ることができます。 盛土遺構からは多量の遺物が出土しており、いわゆる「捨て場」として機能するとともに、古来より日本人が有したアニミズム的な観念やアイヌ民族の「送り」にも通じる概念が存在していたことが伺えます。捨て場であり祭祀の場と考えられる盛土遺構の在り方は、円筒土器文化に共通する性格を有する典型的な事例となっており、当時の精神文化を考える上でも貴重なものです。
35分
大沼国定公園
126もの小島が織り成す美しい景色が広がる北海道のリゾート発祥地
北海道屈指の人気観光スポットである「函館」から、車で約40分。また電車でも50分とアクセス抜群の「大沼公園」。
春の花や野鳥、夏の緑、秋の紅葉、しっとりとした冬景色など、四季折々に見応えある光景が展開され、さらに春から秋はカヌーやサイクリング、ボート、乗馬、セグウェイなどアクティビティをたっぷりと楽しめます。
また湖面が結氷する冬だって、スノーシューや乗馬、ワカサギ釣りなど魅力的なアクティビティがたくさん。そんな、いつ訪れても美しい北の自然を満喫できる大沼公園は、道南のおすすめ観光スポットです。
春の花や野鳥、夏の緑、秋の紅葉、しっとりとした冬景色など、四季折々に見応えある光景が展開され、さらに春から秋はカヌーやサイクリング、ボート、乗馬、セグウェイなどアクティビティをたっぷりと楽しめます。
また湖面が結氷する冬だって、スノーシューや乗馬、ワカサギ釣りなど魅力的なアクティビティがたくさん。そんな、いつ訪れても美しい北の自然を満喫できる大沼公園は、道南のおすすめ観光スポットです。
60分
五稜郭跡
稜堡と呼ばれる5つの突角を配し、星形五角形を呈する外観から五稜郭と呼ばれています。
7年の歳月をかけて元治元(1864)年に竣工した我が国最初の西洋式城塞・五稜郭は,2年後の慶応2(1866)年に付帯施設を含む全ての工事が完成しました。慶応3(1867)年の大政奉還を経て明治新政府へ引き継がれるまで、蝦夷地における政治的中心地として重要な役割を果たしてきましたが、明治元(1868)年10月、榎本武揚率いる旧幕府脱走軍により占拠され、箱館戦争の舞台となった後は役所としての機能を失い、明治4(1871)年には旧箱館奉行所庁舎および付属棟などの関係施設も大半が解体されることとなりました。
明治30年まで明治政府陸軍省の所管となり,大正3年からは「五稜郭公園」として一般開放され、昭和27年には「五稜郭跡」の名称で特別史跡として国の指定を受け、以後国民的遺産として保護・保存の措置が図られ、花見時期の約1,600本のサクラは、函館公園とともに桜の名所となっています。
7年の歳月をかけて元治元(1864)年に竣工した我が国最初の西洋式城塞・五稜郭は,2年後の慶応2(1866)年に付帯施設を含む全ての工事が完成しました。慶応3(1867)年の大政奉還を経て明治新政府へ引き継がれるまで、蝦夷地における政治的中心地として重要な役割を果たしてきましたが、明治元(1868)年10月、榎本武揚率いる旧幕府脱走軍により占拠され、箱館戦争の舞台となった後は役所としての機能を失い、明治4(1871)年には旧箱館奉行所庁舎および付属棟などの関係施設も大半が解体されることとなりました。
明治30年まで明治政府陸軍省の所管となり,大正3年からは「五稜郭公園」として一般開放され、昭和27年には「五稜郭跡」の名称で特別史跡として国の指定を受け、以後国民的遺産として保護・保存の措置が図られ、花見時期の約1,600本のサクラは、函館公園とともに桜の名所となっています。
15分
金森倉庫
ベイエリアに建つ函館の代表的な観光スポット。1909(明治42)年建築、1988年から全面リニューアルし、ショッピングモール、ビアホール、イベントホールなどとして営業。港町の岸壁に建ち並ぶ赤レンガ倉庫は、横浜や神戸、長崎など各地に点在し、どこかロマンチックな風情を感じさせてくれる、その町のシンボルとなっています。我が国初の国際貿易港として開港した函館も例外でなく、市内有数の観光スポットとして四季を問わず、にぎわいを見せています。
10分
GOAL