増田は、江戸時代から続く朝市に代表されるように、成瀬川と皆瀬川の物資の集散地として発展しました。明治期以降には、地元商人らによる増田銀行(現在の北都銀行の前身)や水力発電会社の設立、最盛期を迎えた吉乃鉱山などが影響して、人や物資の往来がより盛んになり、増田は隆盛を極めました。
中七日町通りには、当時の切妻造妻入を主とする家屋や、その背後に接続する鞘(さや)と呼ばれる上屋で覆われた内蔵(うちぐら)が数多く現存しています。
内蔵は、県内有数の豪雪地帯増田ならではのつくりをしており、美しく塗り上げられた漆喰や漆など、当時の最先端の左官技術を駆使した意匠が必見です。現地では、家主がそれぞれの家屋をご案内していますが、観光ガイド(事前予約)もご利用いただけます。