大川地区では多くの地域住民と学校管理下にあった児童・教職員が津波の犠牲となりました。震災遺構は、犠牲者の慰霊・追悼の場であり、震災の事実や避難の重要性を伝えるとともに、防災教育について考える場として公開しています。
東日本大震災以前、大川地区には9つの行政区があり、約720世帯2500人が暮らしていました。2011年3月11日、巨大地震により発生した大津波は、北上川を遡上し、海から3.7km内陸に位置する大川小学校にも8.6mの高さで襲来。大川地区では多くの地域住民と小学校の児童74名、教職員10名を含む416名が死亡・行方不明となりました。
被害を受けた校舎は、慰霊・追悼の場、そして「いのちについて考える場所」として整備・公開されています。震災被害の事実や、事前防災と避難の重要性を伝えることを目的に、既存施設は極力手を加えず保存。外から遺構を見学でき、献花台も設置されています。
また、隣接する大川震災伝承館には、地震発生から津波が到達するまでの状況や、地域の被害を伝える資料が展示されているほか、多目的スペースもあります。【対応言語:英語】
・日本語と英語が併記された展示があります。