三沢市先人記念館は古くから南部藩最大の馬の放牧場「木崎の牧」としてしられた地であり、1872年(明治5年)に日本初民間様式牧場を開設した元会津藩士・旧斗南藩(となみはん)少参事であった廣澤安任をはじめ、地域の発展に尽くした人々を顕彰することを目的として建設された館です。
幕末から明治にかけて、時代の波を駆け抜けた一人の武士がいました。その名は「廣澤安任」。当館は幕末の会津・斗南藩士である「廣澤安任」にスポットを当てています。廣澤安任とはどのような人物だったのでしょう。
廣澤安任は会津藩の藩校、日新館の出身であり、さらに江戸の昌平黌に学ぶなど優秀な人材であったと言われています。
尊皇攘夷に揺れる幕末の時代、安任は藩主・松平容保が京都守護職に任命されると上京し公用人として他藩の藩士や朝廷の公家と交流しました。明治維新後、安任は青森県三沢市谷地頭の地に、英国人ルセーとマキノン、八戸藩大参事太田広城と共に『開牧社』を立ち上げます。それは広大な日本初の民間洋式牧場でした。
「野にあって国家に尽くす」
安任は信頼もあり、時の人物、大久保利通や松方正義といった著名人から国の役人に就くことを勧められたこともありました。
しかし、あくまでも安任は「野にあって国家に尽くす」と在野の身を貫き、牧畜に生涯を捧げたのです。
それは、廃藩置県で失業に陥った武士の雇用救済のためでもあったとも言われています。そして牧畜業に留まらず、安任は数々の画期的な試みを行います。
・洋種の馬との掛け合わせにより優秀な馬を生産・野草を牧草に品種改良・下北半島運河開発(計画のみ)・東京での乳製品の製造・販売 など……
常設展示室では、その様子をいつでも感じ取ることができます。 時は流れ、私たちの生活もいつか、伝えられるときがくるでしょう。時代を駆け抜けた「廣澤安任」の生き様を是非ご覧下さい。