【真言宗豊山派 瑠璃光山医王寺】医王寺は826(天長3)年、弘法大使御作の薬師如来像を勧請し、草庵を建てたことに始まると伝えられ、当地の名を付し鯖野薬師ともいわれています。また、奥州藤原氏の一門であり飯坂をおさめていた佐藤一族の菩提寺で奥州三十三観音特別霊場にもなっています。1689(元禄2)年5月「奥の細道」の途中、医王寺を訪れた松尾芭蕉は、身代わりとなって主君を守った佐藤兄弟を偲び「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」の句を詠みました。
◆奥の院 鯖野薬師堂 佐藤一族が信仰した薬師如来が本尊として祀られています。◆荘司佐藤基治・乙和・継信・忠信墓碑(県指定重要文化財) 奥の院薬師堂の境内に見られる板碑群は、信夫荘司一族の墓域と伝えられ、中央に佐藤基治・乙和、右側に継信・忠信の墓碑といわれる石碑があります。凝灰岩の奥州型板碑を主に大小60数基が安置されています。◆乙和の椿 この椿は、佐藤継信・忠信を失った母 乙和の深い悲しみと母情が乗り移ったかのように、花開かずつぼみのまま落ちてしまうことから、いつしか「乙和の椿」と呼ばれるようになりました。今も花が咲かず落下するつぼみが見られます。◆芭蕉の句碑 1689(元禄2)年5月、「奥の細道」の途中、当寺を訪れた松尾芭蕉は、医王寺に残る悲しくも愛情に満ちた佐藤一族のお話に触れ「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」の句を残しました。句碑は1800(寛政12)年に大阪の俳人大判大江丸の筆によるものです。◆本堂 本堂は1806(文化3)年に再建されました。佐藤継信・忠信を失った母 乙和の悲しみを慰めようと兄弟の武将の姿になり乙和を激励した継信の妻「若桜」、忠信の妻「楓」の人形が本堂内部にまつられています。◆医王寺のシラカシ(市指定天然記念物) 寛永年間の医王寺再興時の植栽と考えられ、樹齢300年と推定されています。◆山門 江戸時代後期に建立され、元は木端葺き(こばぶき)でした。◆瑠璃光殿 瑠璃光殿では、県重要文化財や市指定有形文化財など多数の宝物をご覧いただけます。源義経が佐藤基治に形見に与えられたと伝えられる着物の端切れや、佐藤継信・忠信兄弟にまつわる物、また木地鞍・弁慶の笈など多数展示されています。