祈りの丘の頂上からは志津川湾や旧防災対策庁舎を見渡すことができ、震災の記憶と教訓を次世代へ伝える場所として整備された「震災復興祈念公園」。この祈りの場所とさんさん商店街を繋ぐ「中橋」は、南三陸杉をふんだんに利用したウッドデッキの太鼓橋で、復興のシンボルとして新しいスポットとなりました。夜には橋全体がライトアップされ幻想的な姿が浮かび上がります。
南三陸町は1960年に発生したチリ地震を教訓に津波対策を進め、それを踏まえて防災対策庁舎は鉄骨3階建で建てられました。しかし、東日本大震災ではチリ地震津波の5.5mをはるかに超えた15.5mの津波が庁舎を襲い、防災無線で「高台へ非難してください」と呼びかけ続けた町職員33人を含む計43人が亡くなられました。現在の建物周辺はかさ上げの盛り土で囲まれ、大津波の脅威を感じさせる鉄骨の骨組みは、補強・塗装の塗り直しがされました。2031年まで宮城県の管理下で保存されることになっています。
南三陸さんさん商店街の西側、かつて市街地があった場所には、追悼・鎮魂のための震災復興祈念公園が整備されました。約6.3haにも及ぶ広大な公園の中心にあるのは「祈りの丘」。海抜20mの築山の頂上には、東日本大震災犠牲者名簿を安置する石碑が追悼の言葉を添えて設置されています。一段低くなった位置にある「高さのみち」は志津川地区に襲来した津波の平均の高さ16.5mにあり、この歩道を歩くことで押し寄せた津波の高さを体感できます。目線の先には骨組みを残すだけの南三陸町旧防災対策庁舎があり、震災の記憶を呼び起こし継承する場となっています。