この住宅は、代々弘前藩の広田組代官所手代(てだい)を務めた平山家の住まいとして造られたものです。当地域では最も古い住宅といわれ、廃藩当時は大庄屋でもありました。 平山家には代々の当主の記載による「平山日記」6冊が残され、近世村方文書として史料的価値が高く、当地域の近世農村社会について詳しく知ることができます。 「平山日記」によると、この住宅は明和3年(1766)の地震により被害を受けたので、明和6年(1769)に主屋が再建されました。また、表門については、弘前藩に対する数々の功労により、天保元年(1830)、6代・半左衛門のときに弘前藩10代藩主・津軽信順(のぶゆき)公から特別に許されて建てられたことが記されています。津軽の農民住宅としては、唯一の例です。 このように建設年代を確定できる県内でも数少ない建造物であること。また、当地域の上層農民が生活した18世紀後半の規模をほぼ原形のまま伝えている極めて重要な建造物であることから、昭和53年(1978)1月21日に、主屋と表門が国の重要文化財に指定されました。
2020年3月31日現在の情報です