高野長英は、文化元年(1805)に塩釜村(現奥州市水沢)で生まれ、長崎でシーボルトから医学と蘭学を学んだ幕末の蘭学者です。欧米列強が日本に開国を迫るなか、モリソン号事件での幕府の対応について著した『戊戌 夢物語』が幕政を批判するものとされ、いわゆる「蛮社の獄」で永牢の判決が下り収監されますが脱獄。その後は多くの門人や藩主に守られながら世界情勢や軍事力を正しく伝えるため訳述をつづけ、日本の夜明けのために生涯を捧げました。
著作物として、日本初の生理学書である『医原枢要』、飢饉対策を記した『救荒二物考』『避疫要法』があります。
記念館では、重要文化財「高野長英関係資料」を保存しているほか、高野長英の直筆の手紙や書物を時代順にわかりやすく展示しています。