後藤新平は、安政4年(1857)に塩釜村(現奥州市水沢)で生まれ、医師、行政官、政治家、社会啓蒙家などとして広く活躍した人物です。台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、東京市第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長、東京放送局(後のNHK)初代総裁、拓殖大学第3代学長などを歴任しました。
関東大震災後には内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の帝都復興計画を立案し、その際のインフラは首都東京を現在も支えています。
記念館では、東京市政調査会などから寄贈された貴重な資料を時代順にわかりやすく展示し、生涯と業績を紹介しています。