彫刻家であり詩人である高村光太郎の記念館。
第一展示室には「乙女の像」の中型試作像や「手」(レプリカも併設)などの彫刻作品、光太郎の詩を堪能できる朗読コーナーが設置されている。
第二展示室には、光太郎がプロデュースしたとも言われる宮沢賢治全集や遺品の数々、妻智恵子の紙絵など全部で約110点が展示されている。
○高村光太郎と宮沢賢治
宮沢賢治は大正13年(1924年)、当時詩人としても第一線で活躍していた高村光太郎に心象スケッチ『春と修羅』を献呈。賢治と光太郎の間には書簡でのやり取りがあったと言われ、大正15年(1926年)には、東京本郷のアトリエに賢治が訪問している。
光太郎は賢治を「内にコスモスを持つ者は世界の何処の辺遠に居ても常に一地方的の存在から脱する。…花巻の詩人宮沢賢治は稀に見る此のコスモスの所有者であった」と評し、賢治没後に刊行された「宮沢賢治全集」は光太郎の手によって装丁され、世に送り出された。