当寺は万治元年、報恩寺の末寺として開基され、現在十九世がこの寺を継いでおります。明治20年3月、隣村の常光寺から石川一禎和尚が移り、十五世住職となりました(啄木2歳)。頭脳明晰だった少年は村の人々から神童と言われ、盛岡中学校時代には詩や短歌、小説等に才能を発揮し,岩手日報等に投稿しています。17歳の時に文学で身を立てようと上京したのですが、体を悪くし故郷に戻っています。不幸にもその頃、父一禎が寺を放免され,住む家を失ってしまいます(啄木18歳)。その後宝徳寺の池に生える羊草が大好きだった啄木は、故郷を恋いながら27歳という若き生涯を東京の地で閉じました。平成12年の建て替えと同時に啄木が使用した部屋を復元しています。